トップページ

百嶋神代史研究会(仮称)は太宰府地名研究会を母体として活動してきました。
 特に文献史学偏重の古代史研究は受け入れつつも、フィールド・ワークによる九州王朝の痕跡の探索、戦後、見向きもされなくなった神社研究、神籠石の探索…と通説派が無視する領域を追求してきました。
 その母体となった研究会の研究内容の保持のためのサイトを公開しておく事にします。
戦後、一時的に出現した文化的解放期に、暫く前まで存続していた多くの郷土史会、史談会、考古学研究会、地名研究会…といったものが誕生しました。
しかし今や、そのほとんどがその継承者を失い消失しつつあります。
それは、その勃興期を支えた自らの頭で考え行動する民間の若き研究者達の大半が鬼籍に入り、その空白を埋めるかのように、学会通説に阿る教育委員会、学芸員といった人々が侵入してくるようになると、自由で開放的な研究体制が消え、いつしかどこにでも転がっているような無難な(従って面白くもなんともない)言説が多数派になり、従って、若き世代の研究者達を取り込む事ができずに自然消失へと向かいつつある(向かった)のです。
 こうした状況を良い好機と考え、また、天下り先の確保も睨んで、学会通説に連動する地方の民間研究団体を行政主導によって囲い込み、補助金に群がる動きが顕著になり始めているようです。
 そうなると、このような学会通説にイニシアティブをとろうとする流れに尾を振り、“行政との関係は切れない”とか“教育委員会との関係は無視できない”などと言った傾向が産まれる事となり、これらに提携して町興し、村興し、ひいては世界遺産登録…などといった傾向を受入れそこに群がる有象無象の輩の言説に自説を捨て取り込まれ、研究団体としては自殺行為に等しい流れが出てくることになります。
その上に、自ら研究し発信できない人間(権力に尾を振るさもしい人物)が運営する様になると、勢い通説派が金に任せて造ったパンフレットを配布し洗脳に協力し、しまいには教育委員会の学芸員から御高説を賜わると言った独自の研究ができない翼賛組織(戦前の国体明徴運動の延長に宮司や公安警察に誘導された御用研究会)になってしまうのです。
そういった方々が、学会通説が潰そうとやっきになっている「九州王朝論」の探求といった古代の真実を探る事などできなくなるのは明らかで、結果、何の価値もない自己満足的なおしゃべり団体(カラオケ同好会)が出現していく事になるのです。
この傾向は今後とも一層強まり、どこにでもあるような俗説が蔓延する事になると思いますが、当面、これまでの成果を保持し将来に向けて継承するためにも、さらに複数のサイトを準備する必要があると考え、地名研究、古代史、民俗学についての研究内容を固定し再公開することにしました。
 太宰府地名研究会はこれまでにも既存の団体とは一切関係を持たず、自前の研究者による自由な研究者による独立した研究体制を追求しほぼ十年前から活動を続けてきましたが、既に自らの頭で考え書き発信する十数名によるblog連合体を維持し、恐らく全体では年間100万件のアクセスを確保していると考えられます(はっきりしている上位4サイトだけでも年間60~70万件)。
 一方、情報が急激に拡大してしまった現代においては、個人、組織を問わず、出版もしていないツイッターはおろかblogもHPも維持していないような実質的には存在していない事と同義として扱われてしまいます。
 このため、独自の発信媒体を持たない人間は共同体化したカラオケ・クラブのようなものを好むとともに、そこを地盤に行政、教育委員会、町興しといったものに色目を使いかつ売り込み、絶えず堕落した通説に流されて行く事になるのです。
 これらは、過去、多くの古代史研究団体において顕著な現象だったのであり、未だに学会通説に阿る邪馬台畿内説といったものが焼き直される温床となっているのです。
 当サイトは、頻繁に更新するものではありませんが、地名研究、民俗学、古代史に関する過去のデータを保持し、真実の古代史たる神代史研究への案内するゲート・ウェイとしたいと考えています。
 なお、後進の育成のための投稿サイト、ユーチューブによる動画配信、百嶋由一郎神社考古学研究会(仮称)の全国組織化に向けた準備を行いたいと考えています。

当面の連絡先 JR春日駅前くるま座 090-5289-2994(中島) 090-6298-3254(古川)

百嶋神社考古学勉強会 スケジュール表

メイン

スケジュール

久留米大学公開講座 3)郷土の古代史2017  受講料2,160円
開講時間:12時~15時30分(※1日2コマ実施) 会場:御井キャンパス500号館51A教室
(画像クリックで拡大表示されます)

久留米大学公開講座 4)九州王朝論2017  受講料2,160円
開講時間:13時~16時30分(※1日2コマ実施)会場:御井キャンパス500号館51A教室

研究テーマ

  テーマ 内容 著者
苧扱川(オコンゴ) 26に移動しました。 古川清久
80314
道目木(ドウメキ) ズウメキ、ザメキ、ゴウメキ、ドウメキ…は渓流の自然地名・・・ 古川清久
80418
玉 来(タマライ) 旧宝珠山村の玉来は九州中央部に多い狩猟地名・・・ 古川清久
80516
4 船越(フナコシ) 田主丸の船越から沖縄、長崎、福岡の船越地名は実際に船越が行われた痕跡地名。また、大宰府の木材はいかに搬送されたか?・・・ 古川清久
80627
5 原(ハル、バル) ハル、バルは九州限定の地名。ハラとハルは同じく原と表記されるが起源が全く異なる言語が偶然に原と表記されたもの・・・ 古川清久
80718
6 釜蓋(カマブタ) 民俗学者 谷川健一が発見した「永尾」(エイの尾)地名は南米エクアドルまで拡がっていた・・・ 古川清久
100731
7 八女と矢部 M音とB音が語る日本の古代
福岡県の南部、高良岬の南の南筑平野東部に八女の町がある。やめ の地名の語源は分からない。やめ の地名は全国でここにしかない。だから・・・
永井正範
081205
8 「有明海」はなかった 「有明海」と言う名の海はなかった・・・/帝国海軍水路部と有明海 古川清久
90815
9 古代湖「茂賀の浦」
から狗奴国へ
縄文から弥生に掛けて菊池山鹿盆地に巨大な湖があった 中原 英
110716
10 阿漕(アコギ) 阿漕、赤穂、赤城…は南方性樹木アコウの茂る土地 古川清久
20040630
11 馬門(マカド) 大王の石棺は有明海から大村湾に船越された! 古川清久
20060327
12 塘(トモ) 肥後限定の塘(トモ)地名は遠くアムステルダムまで繋がっていた! 古川清久
20110903
13 鳥子(トリコ) 鳥子は俘囚移配の地か?八咫烏の末裔の地か? 古川清久
20110131
14 神武は日向から
東征したのか?
神武は日向から東征したのか?
元宮崎県学芸員
鶴田裕一
20130301
15 徳王(とくおう) 筑紫君 薩夜摩は肥後に落ちたか? 古川清久
20111205
16 天皇は『仏教徒』か 泉涌寺に天武系八代の位牌はない 古川清久
20130207
17 雑餉隈
(ザッショノクマ)
雑餉隈(ザッショノクマ)という古代の饗応処に関する作業仮説 古川清久
20100523
18 日本言語崩壊
「立ち上げる」
立ち上げる “「立ち上げる」の蔓延に見る日本の言語文化の崩壊”「立ち上げる」に違和感を抱かぬ愚か者! 古川清久
20090401
19 二里の松原と
虹の松原
もとは、「二里ノ松原」とよばれたらしい 古川清久
20110917
20 吾平(アイラ) 吾平(アイラ)“神武が筑前から筑豊に東征する前はどこにいたのか? 古川清久
20120825
21 田ノ浦(タウヌイ)Ⅰ 田ノ浦 “タウヌイ、カウヌイは大きな舟” 古川清久
20130118
22 田ノ浦(タウヌイ)Ⅱ 中国電力上関町原発建設予定地の田ノ浦 古川清久
20130605
23 太宰府は
日本の首都だった
内倉武久による「九州倭国政権の存在から見た考古学上の重要遺跡」の掲載について 掲載者
古川清久
24 倭人も太平洋を渡った 1万年前には太平洋を船で渡ったグループも出てきました。南米の九州縄文・弥生の土器 古田史学の会
大下隆司
25 杵島(キシマ) 佐賀県西南部の古代史重要ポイント 古川清久
26 苧扱川(オコンゴ) 久留米にオコンゴが流れる。池町川はオコンゴウと呼ばれた・・・ 古川清久
27 通古賀(トールコガ) 通古賀はトウノコガと読むべきか? 古川清久
28 永尾(エイノオ) 谷川健一の「永尾(エイノオ)地名が古田武彦の「倭人も太平洋を渡った」を証明した。 古川清久
29 最近の考古学的発見
と九州王朝
我国には近畿天皇家に先行する王朝が存在した。 古田史学の会
正木 裕
30 周王朝から耶馬壹国 『魏志倭人伝』伊都国・奴国の官名「泄謨觚・柄渠觚・兕馬觚」それは周代の青銅の祭器と儀礼に起因するものだった。 古田史学の会
正木 裕
31 淀姫(ヨドヒメ) 淀姫神社と乳母神社がある理由は、自らが神武天皇の直系の一族であるとの思いが込められている 古川清久

リンク

百嶋由一郎神社考古学を意識したblog連合体です

今後も幾つかのblogが加わるべく準備中です

動画コンテンツ

youtube動画まとめページへリンクさせていただいております。

著書紹介